top of page

「感動をありがとう」はどうして気持ち悪いのか

 今回は、共感してくれる人が少ないことを承知で書きます。巷でよく聞く「感動をありがとう」というセリフ、スポーツの白熱した試合などでよく耳にしますが、これがとても気持ち悪いです。しかも憂うつなのは、この歴史の浅いセリフが社会の中でどんどん一般的になっていく中で、気持ち悪さを感じる人がいまや少数派になってしまっているという事実です。

「どこが気持ち悪いんだ。感動したんだからお礼言ったっていいじゃないか」というクレームが聞こえてきそうです。これは私個人の好き嫌いでなく、この言葉が初めて出回った90年代はじめには、多くの人が違和感を感じていたはずです。なぜそれが消えてしまったのでしょう。

気持ち悪さの理由を書くために、英語の話から入ります。

英語の感情表現

「私は驚いた」と英語でいうとき、”I was surprised. ”となります。中学で習う文法に出てきますね。そう、これは受身形です。surpriseという動詞は「驚かせる」という他動詞で、「驚く」というときは受身形にするしかありません。感情表現を受身形にする動詞は英語にはたくさんあります。amuse, bore, disappoint, excite, frighten, interest, please, satisfy, terrify…、まだあります。  なぜ受身形になるかというと、宗教がキリスト教だからです。唯一絶対神である「ゴッド」を信じる文化なので、感情は自分の心の中から生まれるのではなく、「神が自分に与えてくださった」と考えるのです。人間の側からすると、神によって与えられたという受身の意識です。主語はあくまで「GOD」となります。

気持ち悪さの理由

 例えば大ファンの野球チームが、強豪相手に勝ったとき、誰でも嬉しいはずです。その喜びはどこで生まれたのでしょう。キリスト教みたいに自分の体の外からやってくるのでしょうか。日本人の多くはそうでなく、自分の中で生まれた感情と思うはずです。たとえそれがサヨナラヒットを打ったバッターから「与えられた」「(感動を)受けた」という表現を使っていても、主語は「私」です。ヒットは感動の原因です。  さて、「感動をありがとう」です。この「感動」は明らかに自分が主語ではありません。発生源は神や自分というより、むしろ対象からプレゼントされているようなニュアンスです。自分がやっているのは感謝しているだけ。  ゴッドを信じる人たちは「神からもらう」感動、神道をベースに仏教や儒教などが混ざり合った宗教観を持つ多くの日本の人たちは「自分の中から生まれる」感動。でも「感動をありがとう」はそのどちらにも当てはまりません。だから気持ち悪いのです。プレゼントのような交換可能なモノなら、売買だってできそうです。その安っぽさが気持ち悪いと感じるのだと思います。

言葉に対する違和感を大切にしたい

 言葉は時代とともに変化するし、新しい言い回しもどんどん生まれます。それは必要なことだと思います。今では誰でも使う「上から目線」という言葉だって、21世紀に入るまではありませんでした。

 しかし、生まれた言葉は新参者なので、みなが育ててあげないとなりません。違和感を感じる言葉なら、なぜそう感じるのか考え、必要なら修正するなり使わないという選択をしないと、元からある言葉がおかしな影響を受けます。感動するというのは、本来ならとても個人的で美しい情動のはずですが、簡単にあげたり捨てたりする取替え可能なものになってしまうと、もともと持っていた重さが消えてしまうのです。

 新しい言葉を育てるのは、日本人のひとりひとりです。皆の使い方しだいで、日本語がさらに表現力を増すか、もともと持っていた良さを一つ失うか、決まってしまうと考えています。

bottom of page